施設ケアの現場から少年法の改正を考える

児童養護施設・指導員 高橋 正彦


1)児童養護施設の現場から少年法の改正を考える
 施設処遇の経験から「少年法の改正」を考えると、私たちが長年にわたって実践の中から学んできたことと逆行すると言わなければなりません。

2)施設入所児の状況
 施設には虐待を受けて入所する児童が急増しています。(56%)しかも、かなり重大なダメージを受けた児童が増えておりアメリカ並みに行動抑制剤の使用が必要な子どもが増えています。被虐待児のトラウマによる行動特性としての不適応行動(反社会的・被社会的)は虐待環境下で自らを守るために学習した適応結果なのです。
 家庭環境を奪われ、虐待を受け、親子分離という喪失体験を経て入所する子どもは、不適切な人間関係・環境を学習することになるため、結果として不適応行動が生じるのであって、本人の資質によるものとは言えないのです。

3)昔の施設ケアの振り返り
 数十年前の施設ケアを振り返れば反省すべき点は多々あると言わざるを得ません。例えば「非行→取り調べ→事実確認→説教→罰(拘束・制裁的虐待=外出禁止、寮内謹慎、おこづかいの使用停止、おやつの停止、長時間の正座、頭髪の丸刈り、反省文、体罰等)」という処遇パターンは常識化していました。子どもを圧倒的に優位な立場にある大人の力によって管理・矯正する処遇方法でした。これらは近年「プログラム虐待」として問題を指摘されているように、子どもに恐怖心を植えつけ、絶対服従を強いる作用をするが、当時は職員の統率力として評価されていたのでした。

4)昔のケアからの教訓
 力による支配や厳罰化による規制・制裁は現象を変える即効力は確保できても問題を解決することはできないのです。恐怖心による支配・抑圧からは矛盾の内在化を促し、かえって反抗と爆発の条件を醸成する結果となるのです。施設における処遇は支持的受容による再養育であり、罰することでは成り立たないのです。
 つい最近も虐待を受けて深刻なダメージを受けた4歳の男の子が入所して来ました。
 彼は入所日に大暴れをしました。「オレはこんなとこに居たくね〜んだよ。帰りて〜んだよ。うるせ〜んだよ。しゃべりかけんじゃね〜よ。触るんじゃね〜よ。」と話しかける大人に対してバリ雑言を浴びせました。それに動揺しない大人を見て、ドアや壁を手当たり次第蹴り上げ、拳で殴りつけ、履物を次々と投げつけました。久々の大物の入所だなと思って見ていると、窓ガラスを割ろうとするので抱きかかえて止めました。すると全身の力を振り絞って振り解こうと暴れました。その場を一時離れて落ち着かせる必要を感じて、抱きかかえたまま園内を散歩することにして一方的に説得しましたが一向に納まらず暴れるので、両手を持って肩車をし、気持ちが落ち着くまで歩き回ることにしました。しばらくの間は「離せよ。いてえんだよ。触るんじゃねえよ。」とわめいていましたが、近くの飛行場から離陸したセスナ機が上空を低空で上に飛んできた時に「あれは何」と聞いてきました。この偶然のチャンスを見逃すわけにはいきません。すぐさま、近くの飛行場に一緒に見に行くことを約束したのでした。
 これらの状況は、この子が自分の虐待体験から学習した方法で自分の安全を確かめているに過ぎないのです。つまり、相手の言葉や暴力によって威嚇することは自らの体験の中から学習してきたことの再現化行動にほかならないのです。彼の資質がこのような行動をとらせているのではないのです。この時に大人が力で押さえつけたら、二重の被害を受けることになり、心の傷を更に深刻な状態にし、「暴力」を確信に近いほど強く身に付けてしまうのです。

5)児童養護施設の役割
 再養育機能の観点から施設の役割を考えると以下のことが必要と思います。
 ・虐待や親子分離による「心のダメージ」から回復する「癒しのケア」(マイナスからの回復機能)
 ・自己の尊厳を回復する「人権養護ケア」(人権回復機能)
 ・自立のための「リービングケア」(人間関係の再統合機能)
 これらを具体化することができて『自立支援』が可能となるのではないでしょうか。

6)児童福祉施設における問題の所在は以下の三点です。
 @法律の問題(児童福祉法=子どもは保護の対象で、権利の主体ではない)
  親の所有物=煮て食おうが焼いて食おうが親の勝手(親代わりの職員の危険?)
 A制度の問題(国民の価値観としての劣等処遇・ケアイズムと劣悪な制度・基準)
 Bケア技術の問題(子どもの理解と処遇のトレーニング・研修、資格・義務・責任)

7)少年法の検討と児童養護施設
 少年法の検討にあたっては私たちの児童養護施設での試行錯誤の積み重ねのなかから得た教訓を十分に生かして頂きたいと思います。